最新の展覧会

田能村竹田と九州の文人画 

2022年7月8日(金)~8月21日(日)
月曜休館

展覧会概要

江戸時代に中国より日本にもたらされた文人画は、文人文化に憧れを抱く知識人によって発展しました。この文人画が盛んな地として知られるのが豊後地方(現在の大分県)で、その代表的な画家が田能村竹田(1777−1835)です。岡藩(現在の竹田市)の儒者として中国文化に精通した竹田は、各地の知識人と交流し、自身の画業をさらに深化させました。本展では、出光佐三をも深く魅了した文人画の深遠な世界を、竹田の名品と、彼を継承した豊後の画家たちの作品をとおして紹介します。

第1章  「竹田」誕生―画業初期の作品

田能村竹田は、安永六年(1777)六月、岡城下の竹田村(現在の大分県竹田市)に、藩医田能村碩庵の二男として生まれました。学問に長けていた竹田は藩校に入学し、22歳で同館に出仕します。そこで『豊後国志』の編纂に従事し、藩の儒者として実績を積んでいきます。一方で竹田は文芸の道に憧れを抱き、自由を得るために隠居への思いを強くしていきます。ここでは、竹田が隠居する以前に描かれた初期の作品を紹介します。

春園富貴図(部分) 田能村竹田

日本 享和~文化年間(1801~18) 出光美術館

  

第2章  旅に生きる

竹田はその生涯で20回以上の旅をしました。京坂では友人たちと近隣の景勝地をめぐり、海外からの文物が入ってくる長崎では多くの中国絵画を目にしました。本州への玄関口である下関でも滞在中にたくさんの絵を描いています。竹田は旅に育まれた画家といえます。こうしたこともあり、竹田の作品には、旅先で眼にした情景や、旅中の感興を描いたものが多く見られます。その絵筆が描き留めた光景は、想いをつづる漢詩とともに、豊かな詩書画一体の芸術空間を創出しています。

三津浜図 田能村竹田

日本 天保5年(1834) 出光美術館

  

第3章 友との語らい

旅が竹田にもたらしたのは、画趣あふれる美しい景観や新たな絵画技法だけではありません。竹田は旅先で多くの友人を得ることになりました。竹田の交友録『竹田荘師友画録』には105名の文人が列挙され、その交友関係の広さがうかがえます。その中には、『日本外史』を著した京都の儒者・頼山陽や、京焼の陶工で文人画家としても名高い青木木米、さらには大坂町奉行の与力・大塩平八郎など、当代を代表する文人たちがいました。彼らとの交友を通じて、竹田はその画業を深めていったのです。

柳閣暁粧図(部分) 田能村竹田

日本 天保元年(1830) 出光美術館

  

第4章 九州の文人画 それぞれの道

竹田のもとには多くの門人が集いました。その中でも筆頭として挙げられるのが、高橋草坪と帆足杏雨のふたりです。彼らは竹田を師と仰ぎながら、独自の画風を切り開きました。また幼くして竹田に入門し、後に養子となった田能村直入は、近代の南画発展に大きく寄与しました。さらに竹田の没後も、彼を慕う人々によって、その画風は後世に伝えられていきます。本章では、竹田を継承し発展させた九州の文人画の水脈を見ていくことにしましょう。

蘭亭曲水図(部分) 高橋草坪

日本 江戸時代 出光美術館

  

※3階展示室は閉室しています
※列品解説・講演会などの展覧会イベントは中止します
※会期・開館時間・出品作品等は変更することがあります。最新情報は当館ウェブサイトまたはお電話でご確認ください